寝過ごした見た風景

夜勤明けの疲れから、寝過ごして1駅先で降りた。

 

そこには二人の思い出がいっぱい詰まった風景が広がっている。

 

一緒に歩いた道、童心に帰ってはしゃいだ公園。

 

自然と涙がこぼれてきた。

 

そこは物理的な距離は近いけれども、時間は絶対に戻らない、二度と辿り着けない場所なんだ。どんなにお金を積んでも行けない場所。

 

私を失うのがそんなに辛いのだったら、なんでその時もっと大事にしなかったの、ベストを尽くさなかったの?という元嫁の声が聞こえてくる。

 

俺は、痛い目に合わないと気づけない鈍感な愚か者なのだと答える。

 

甘えすぎだよ。

 

そうだね。要するに甘えていたんだよ。

 

でも、でもね、過ちを許して欲しかった。俺もわがまま野郎だけど、少しずつでも改善してきたじゃないか。それは彼女も認めてくれていた。なんで、急にこんなことになってしまったのだろう。許してくれたら、まただらしなく甘えてしまう精神状態になったのだろうか。今はない。人生観が180度ひっくり返った。ただただ気づくのが遅すぎたのか。人生なんてこんなものなのかもしれないという気もしている。わからない。赦しこそ至上の甘美なる究極な愛、そこで俺は真の愛に目覚める。なんて、それを一方的に要求するのは男の傲慢か。最初から、自分が無償の愛を与えないと。それが俺には足らなかった、いや全力で愛していたんだけど、上手く伝わらなかったのだろう。

完全なる無為

絵の練習も、筋トレも運動もしていない。

 

完全に無為なる一日を過ごしてしまった。

 

今日は、堕ちに堕ちた一日。寝逃げしても収まらず、起きても机に突っ伏すばかり。

 

部屋に一日中篭っているのがよくないのはわかっている。

 

元来、怠け者気質なので更に悪化してしまうんだよなあ。

 

まだ間に合うのでスポーツクラブには行こう。

 

体を動かしている間は気持ちが晴れる。

 

問題は、止まっている時。実は、解決方法は瞑想しかないとわかっている。

 

かつても、心が落ちたときに、ヴィパッサナー瞑想のやり方を学びに行ったこともある。

 

すべての元凶は面倒くさいという負債のせいだなのだ。嫁に逃げられた理由の一つでもある。

 

知識や、経験は積んでいる。どうすれば最善かわかっているくせに、行動を面倒くさがって、一人部屋で怠惰と後悔の暗闇に浸り続ける。今日という一日はその最たるものだ。

 

体を動かすか、動かせないときは瞑想。読書は動くほうに分類されるが、闇につつまれると読書を開始するのがしんどくなってしまう。

 

そして、最後の手段として宗教にハマるという手もあるが、安易に手は出したくない。宗教は全く否定しておらず、人間は誰しも何らかの宗教行為をして生きているものだから。自分に都合の良い宗教を見つけてきて思考停止はしたくないということだ。

 

思考停止こそ人間放棄、最たる愚かな行為。だが、今日を振り返ると、怠惰と後悔で思考停止していたじゃないか、私は。いまだに、愚か者から脱皮できていない。

 

期待としては、こうやって言語に起こすことで、何か突破口を見つけられないかというところだ。

定期sage

定期的にズーンと沈むあの感覚に襲われる。

 

いつまで続くのだろうか?

 

このトンネルも抜ける時が来るのであろうか?

 

職場では、それなりに明るく振舞えている。まだ、離婚したことは上司にしか言ってない。別に見栄を張っているわけではないが、打ち明けるという行為が億劫である。言ってしまった方が心は軽くなるのだろうけども。

 

若い外国人の女が数名入ってきたが、片言の外国語を言ったりなど、そこも明るく振舞わざるを得ないわけだが、これがうっとおしいと感じ始めた。こいつらは先日の忘年会で、私の第一印象は冷たい怖い感じと言ったというのもある。空気読まず、率直に物申した若い外国人に対して、無礼者が、と思ったものである。確かに、ここ最近はイライラが続き怖い表情をしていたことが多かったのだろうな。指摘してもらい助かったという一面もあるといえばあるがな。

 

余裕がない。社会では虚勢を張って明るく振舞わないとならないという面倒くさい一面がある。ただ、確かに、こちらが他者の立場に立ってみると、暗い陰気臭い奴より明るい面白い奴のほうに惹かれてしまうのは確かだからなあ。ここ大事。実際、嫌な奴ではないけれども、暗く陰気臭いので、自然と不快感を覚えてしまう男も職場にいる。他人の振り見て我が振り直せ。解決策は虚勢しかないものなのか。それもどうも息苦しい。本当は根っこから自信を持つことなのだがな。大きく削られた自信を取り戻すことしか私にはやることがない。

女の一生キクの場合

キリスト教が禁教の江戸時代に、隠れキリシタンの彼に恋してしまったから。

 

あまりにも悲恋な話だった。

 

時代が違えば、きっと幸せになれただろうに。

 

遠藤周作の小説はエキセントリックに人生の理不尽が描かれている。

 

大なり小なり人生は理不尽で不条理である。

 

生まれる地域、時代は選べない。

 

いちいち落ち込んでる場合ではないのかもしれない。

 

いや別に落ち込んでいてもかまわないが、ただ無意味。

 

時は止まらず、動く歩道のような何かが、俺を自動的に死へと運び続ける。

 

そこからは逃げることなどできない。泣こうが、楽しもうが俺の自由だ。

後悔の日々

あの時こうしていれば。そればっか思い浮かべてしまう。

 

ただ、その場面はクリアしたとしても、また別の場面で失敗してしまう気もする。

 

わからない。

 

だが、現実はもう変えられないのは確か。

 

前向きに生きるべきなんだけど、定期的にUTUがやってくる。これはどうしようもない。

 

職場で妙にハイテンションになったり、しばらくしてウツの波が押し寄せてきたり。

 

双極性障がいの軽いやつなんかな、よくわからんけど。

 

仕事にはいけてるし、運動もしてるんだから、まあ大丈夫とか、だましだましやっていくしかねえんだよ。つまらなくても虚しくてもただ淡々と生活する。それしかねえ。あーつまんねえなあ。ああそういえば、離婚前も仕事や現状に対する不満とかでいっぱいだったな。俺は不満クズやろうなのだろうか。いつだって不満。じゃあさ、今変わっちゃえばいいじゃん。前向き感謝君にさ。いえーい、楽しくなってきた未来は明るいぞお。というか、ちょっと頭おかしくなりたい。いい意味で。悩んだって無意味なんだよ。頭のん中お花畑くんになりたい。そうだよ、脳内は自由、妄想は自由。俺は自由だ。そして、真顔に戻る。ああ、わかったわかった、真顔に戻った瞬間動けばいい。無理やり忙しくすればいい。っていう無難な結論しかでねえ、つまんねえ。うーんどうしたもんかな。さて、スポーツクラブでもいってくるか。

高橋由美子

新橋界隈で飲み歩いているんだってな。

 

独身アラフォーで酒が飲めれば、酒に走るのは一つの真理。

 

酒飲んでいる間だけは、孤独でなくなる。ましてや、飲み仲間がいればなおさらだ。

 

俺も、毎夜、吉田類と一緒に飲み歩いているよ。

 

リアルで、気軽に飲める仲間とかいればいいけど、中年になると難易度が上がってしまう。友人でも、俺の心が狭隘なのかもしれないが、結婚子持ちとは話合わないし、話合う奴でも、仕事と家庭で疲弊して飲みに出るのが億劫になってしまっていたりする。

 

かつては、ほとんど息を吐くように今度飲みに行こう。と言っていて、中には社交辞令もあったけど、実際に飲みに行くことも多かった。

 

旧知に頼らず、新しい出会いを求めるべきなんだろうが、これの出足が非常に重くなっている。今日も、一日家にこもりっきりだった。こうやってどんどん閉じていくのだろうか。なんとか、打開したい。