感動

とにかく辛い、後悔、後悔、そればかり。

 

インターネットに向かい合うと、離婚 立ち直り、離婚 絶望、離婚 俺はもうだめだ、など離婚と他の単語を入力して検索しまくってしまう。

 

そんな中、自らの離婚経験を活かして、現在もがき苦しんでいるかたに癒しの言葉を投げかけている人がいる。なんか感動した。世の中には、自分の辛い経験を活かして、他者を救おうと活動している人がいる。かつては、気づかなかったけど、こういう人を見ると世の中捨てたもんじゃないって思える。自分、自分、金、金、こういう思考に陥っていた俺が、見えてなかった視点。そう考えれば俺も少しはマシな人間になったのかもしれん。

 

ただ、辛い後悔はまだしばらく消えそうにないな。いろいろ見聞きすると、やはり一番の薬は時間のようだ。太陽の光を浴びながら歩いて時間をやり過ごすってのが良さそうだ。

 

空は青い

昨日は一人で飲んで、いい感じに酔っぱらったので奇跡が起こるのではと、二人で住んでたアパートに行った。酔いながらひたすらタイムリープすることを願って歩いた。変わらなかった。なんでだよ?頼むよ。近くに野良猫たちが住みついていて、よく二人でちくわを買ってあげていた。今もまだいたんだな。一人ちくわをあげていたら、涙がとめどなく溢れてきた。猫が号泣する俺は不思議そうな顔で眺めていた。近々、ちくわをあげた恩返しで、この猫が魔法を使い俺を過去の世界に飛ばしてくれるのではないかと期待している。毎日、何をしていても影が差す。あらゆる風景が思いでにつながるから。こんなに辛いとは思わなかった。もうだめだが、生きていかねばならない。ただ、惰性でいきてくだけだ。

モブキャラ

俺が嫁に逃げられようが、世界は回る。

 

モブだよ、モブキャラに過ぎないんだよ。

 

例えば、ドラクエ世界で、物語展開の為にあるモブキャラが嫁と離別、もしくは死別したとする。そんなんプレイヤー視点で見れば、メタルスライムを狩ってレベリングするのと同じようなことなんだよ。

 

ほとんど多くの凡人はモブキャラだ。自分が主人公なんて勘違いするようになったのは、戦後の個人主義教育のせいもあるやろな。俺も、個室を与えられぬくぬく育っちまったからな。全体の一部という認識が薄かった。だから、俺俺になっちまったんだろう。今は、しっかり自分はモブキャラだという認識がある。悩んでもしょうがないよ。だって、モブキャラの悩みは世界に供述されないもの。

 

全体を見ろ。個の悩みに固執するのは、あまりにも小さすぎる。微生物が実存に悩むか?そういうと失笑するだろうが、それと同じなんだよ。

 

なるようにしかならない。とは言え、俺は今夜も一人センチメンタリズムに浸る。世界からの視点と、個人主義世界における個の感傷と平行で歩いているから、こういうのもありなんじゃね?

 

明日も電車に揺られる。暗そうな顔して、ほんとに暗いライフの人、内心ほくそえんでる人、いろいろいるだろう。都市部には人が多すぎる。全部は追えないだろ。俺もその中の一人だ。

 

 

さよなら私 みうらじゅん

癒される。

 

悩みの大本は、他人に期待しない、他人と比較しない。

 

そのとーり。

 

他人に期待しない。ってのは実践できてたんだが、他人と比較して嫉妬の鬼となってしまっていた。これがわが身を地獄の業火で焼き尽くした根本原因。

 

これからは、他人と比較しないで生きよう。開き直る。なんとかなるさ。なるようにしかならない。

 

他人にはバカにされていろ、とかオヤジの小言湯のみにもかいてあったし、背伸びも見栄もはることねえんだよ。ありのままでいい。今、俺は無理やりにでもポジな言葉を並べている。こういうところがマジメで困る。能天気は才能だから無理してもなれないんだ。仕方ない。

呪いと日本人 小松和彦

奈良時代平安時代における呪詛のかけあい。

 

日本のおどろおどろしい側面は都から始まったのだな。

 

システム安定の為、呪いや祓いを生み出してきたのがよくわかる。

 

ガス抜きとしての呪い。そして、安全装置としての祓い。

 

呪いってのは、国を回すための必要悪だったのだ。

 

皇族や貴族階級で、呪詛合戦があったのが、より人間とは何かというのを映し出している。

 

ヒエラルキーの上位にいたとしても、当然妬みは消えやしない。むしろ、より強くなるのではないか。ドラマでも砂の塔とかやってるけど、同じようなもんだろう。

 

現代も変わっていない。

 

呪いはなくならない、人が成功や栄誉や勝利を目指す限りは。

 

 

 

昼間から飲む

いよいよアル中路線に突入したのだろうか?

 

飲んでいる間だけはハッピーライフまっしぐらだから、そりゃあ飲むだろう。

 

誰も止める人もいない。

 

無軌道な人生につっこんでいっている。

寝過ごした見た風景

夜勤明けの疲れから、寝過ごして1駅先で降りた。

 

そこには二人の思い出がいっぱい詰まった風景が広がっている。

 

一緒に歩いた道、童心に帰ってはしゃいだ公園。

 

自然と涙がこぼれてきた。

 

そこは物理的な距離は近いけれども、時間は絶対に戻らない、二度と辿り着けない場所なんだ。どんなにお金を積んでも行けない場所。

 

私を失うのがそんなに辛いのだったら、なんでその時もっと大事にしなかったの、ベストを尽くさなかったの?という元嫁の声が聞こえてくる。

 

俺は、痛い目に合わないと気づけない鈍感な愚か者なのだと答える。

 

甘えすぎだよ。

 

そうだね。要するに甘えていたんだよ。

 

でも、でもね、過ちを許して欲しかった。俺もわがまま野郎だけど、少しずつでも改善してきたじゃないか。それは彼女も認めてくれていた。なんで、急にこんなことになってしまったのだろう。許してくれたら、まただらしなく甘えてしまう精神状態になったのだろうか。今はない。人生観が180度ひっくり返った。ただただ気づくのが遅すぎたのか。人生なんてこんなものなのかもしれないという気もしている。わからない。赦しこそ至上の甘美なる究極な愛、そこで俺は真の愛に目覚める。なんて、それを一方的に要求するのは男の傲慢か。最初から、自分が無償の愛を与えないと。それが俺には足らなかった、いや全力で愛していたんだけど、上手く伝わらなかったのだろう。