沈黙
沈黙/遠藤周作を読んだ。
一神教の世界での神は、日本で変質してしまう。あらゆる人々に語られてきた日本特有の現象。
いろんなものを取り込みアレンジして、ユニークなものを生み出す文化は素晴らしい。
ただ、一神教の世界における神からの視線を持っている奴らのほうが孤独には強いだろうな。家族が機能しなくなっている現代日本、孤独に心をやられてしまっている人々が増えている。俺もその一員になりつつある。
あと、戦国から江戸、戦前から戦後など激動期には、生まれた年によって天国から地獄の格差が発生するんだなあと改めてしみじみと思った。団塊と団塊ジュニアの差なんて、それからみればぬるま湯だ。ジュニアはまだ裕福な団塊の恩恵を受けている人たちも多いだろうし。
キリシタン大名が存在した頃と、禁教になった以降と、信徒や宣教師にとっては天国と地獄ほどの差がある。宗教はチートレベルで心を強くすることが可能だけど、それだけ社会や為政者から迫害されるリスクが高まる。であるので、完璧なチートなどではなく、心強化のパラメーターに全振りという状況だったってのが近いか。
翻って現在、あらゆる自由が保障されている。歴史関連の本はよい。今って本当に恵まれているんだと思えるから。綺麗ごとばかりのファンタジー歴史ものは読む気がしないが、ガチの先人達の生きる為の苦闘が伝わってくる本は読みたい。
waiting for death
好きな女を孕ませて子供をつくる。それが最も強い男の欲望である。
ところがそれが適わなかった男達が今はたくさんいる。
2100年、日本の人口は今と比して三分の一になるという。
そういう時代だ。
独男はどうすればいい?
快楽を追求するしかないね。
どうせもうすぐ俺達は死ぬ。
悪あがきして、女をとっつかまえて孕ませるのもありだ。
それが無理なら、社会の役にたつふりをして言説をまきちらすとか、今の仕事に無理やり意味を与えてムキになって働くとか。
もうすぐAI、ロボットに取って代われてそれが無意味になるのかもしれない。
ただ、今は無理やり意味を与えて、自分の実存を慰める行為しかできないだろう。
子供がいるかいないかはでかいね。特に直径家族主義の日本では。
社会全体で子供を育てりゃとかそういう理想論を唱え、未来はそうなるのかもしれないけど、すぐにはならない。今、寂しい人たちは救えない。
それに、かつては農村全体で子供たちを育ててたんだよ。社会で子供を育てよう論は、単に反動、ムラ社会への回帰主義でもある。
ちがうだろ。個人主義、わがままだろう。
団塊世代どもは、大家族主義のわずらわしさを疎い、核家族をつくったんだろうが。
そして、その子供たちは、孤独に打ち震えている者たちが多くいる。
どうなるんだろうな?わからん。
ただ俺は言いたい、そんなに簡単に離婚するんじゃねえよ。
俺の孤独な叫びだけが、都市の闇に虚しく消えていく、今宵の夜である。
ヒトカラ
夜勤明けにほろ酔いでヒトカラに行ってきた。
季節が君だけを変える、サボテンの花、あの素晴らしい愛をもう一度、パワーソングなどを歌ってロンリーな自分に酔う。
牛角に行った後は、必ずといっていいほど二人でカラオケに行った。それも、俺が酔っぱらった勢いで気持ちよくなりたがたいためだったに過ぎなかった。彼女はいつも快くつきあってくれた。もう、そんな恵まれた時間は二度と戻ってこない。カラオケに行くことも無くなっていくのだろう。
元々、一人でも飲みにいけちゃうタイプなので、ヒトカラにはまた行くことあるかもしれない。酔えば一人の寂しさも吹き飛ぶから。それでも、行ったとしても、繰り返し後ろ向きな感傷に酔うだけなんだろうがなあ。
ナイトメア
おととい見た夢はキツかった。
どこか知らない場所を別れた妻と旅行をしている。
場所と状況はカオスなのだが、そんなことはどうでもよい。
離婚の記憶はありながら、あの離婚は嘘で、本当に辛かったんだからと俺が言い、二人で楽しそうに笑いあっている。
夢の中で、ああよかったあ、離婚したのはそれこそ夢かなにかで現実ではなかったんだと、安堵した。
目が覚めたとき、ああやっぱり現実なんだと落胆。
悪夢の場合、目覚めた時安堵するんだけど、その逆だ。
夢の中でだけでも幸せな時間を過ごせて良かった……。なんてことにはならない。切なさが増すだけだ。
リグレット
無理やり前向きな考えを持とうとしても続かない。
まだ定期的にズーンと落ちる時間がやってくる。
後悔。あの時こうしていれば、もっと思いやりをもっていれば、もっと感謝の気持ちを持っていれば……。
ああ、何今頃身に染みてやがるんだ、愚か者め。
今のほうが精神が浄化したというか、周囲に対する感謝の念が強くなったので、少しは人間的に成長したとは言えるのだろうが、失ったものがあまりにも大きすぎる。
かといって後悔と未練丸出しでこの後生きていくのは悲しすぎるので、気持ちは切り替えないといけない。
とはいえ、無理に前向きになんてなれない、気づくと落ちてしまう。と感情がループしている
時間の流れによる忘却を待つしかないなんてことはわかってる。わかってるが、今辛いんだよ。それにそう簡単に忘れられる訳がないだろう。
ぐだぐだと未練がましいことを書き続けていたら、それに飽きて、気持ちが晴れる日が来るのだろうか。もし俺がクリスチャンだったら神父とか司祭に、懺悔や告悔を聞いてほしいところだ。
終わっちまった
まさか本当に離婚されるとは思わなかった。
俺なりに頑張ったのに。
女性は一度大爆発してしまうと、それを修復するのは困難である。とどこかで読んだことがある。まさにそれだったのかもしれない。
人生最大の後悔となってしまったが、後悔はしない。いや、後悔はしちゃいけないんだ。その代わりに懺悔をすればいい。悔い改めよってやつだ。
感謝の気持ちも足りなかったな。有難うの反対、あたりまえに染まってしまっていた。
今になって気づくなんて、典型的な愚か者だ。
今はまだ悲しく辛い。躁と欝を繰り返している。
後は、時間の癒しを待つしかないのだな。
楽しかった思い出も、別れの辛さも。いつか、全ての記憶が薄れていくのだろう。