女の一生キクの場合

キリスト教が禁教の江戸時代に、隠れキリシタンの彼に恋してしまったから。

 

あまりにも悲恋な話だった。

 

時代が違えば、きっと幸せになれただろうに。

 

遠藤周作の小説はエキセントリックに人生の理不尽が描かれている。

 

大なり小なり人生は理不尽で不条理である。

 

生まれる地域、時代は選べない。

 

いちいち落ち込んでる場合ではないのかもしれない。

 

いや別に落ち込んでいてもかまわないが、ただ無意味。

 

時は止まらず、動く歩道のような何かが、俺を自動的に死へと運び続ける。

 

そこからは逃げることなどできない。泣こうが、楽しもうが俺の自由だ。

後悔の日々

あの時こうしていれば。そればっか思い浮かべてしまう。

 

ただ、その場面はクリアしたとしても、また別の場面で失敗してしまう気もする。

 

わからない。

 

だが、現実はもう変えられないのは確か。

 

前向きに生きるべきなんだけど、定期的にUTUがやってくる。これはどうしようもない。

 

職場で妙にハイテンションになったり、しばらくしてウツの波が押し寄せてきたり。

 

双極性障がいの軽いやつなんかな、よくわからんけど。

 

仕事にはいけてるし、運動もしてるんだから、まあ大丈夫とか、だましだましやっていくしかねえんだよ。つまらなくても虚しくてもただ淡々と生活する。それしかねえ。あーつまんねえなあ。ああそういえば、離婚前も仕事や現状に対する不満とかでいっぱいだったな。俺は不満クズやろうなのだろうか。いつだって不満。じゃあさ、今変わっちゃえばいいじゃん。前向き感謝君にさ。いえーい、楽しくなってきた未来は明るいぞお。というか、ちょっと頭おかしくなりたい。いい意味で。悩んだって無意味なんだよ。頭のん中お花畑くんになりたい。そうだよ、脳内は自由、妄想は自由。俺は自由だ。そして、真顔に戻る。ああ、わかったわかった、真顔に戻った瞬間動けばいい。無理やり忙しくすればいい。っていう無難な結論しかでねえ、つまんねえ。うーんどうしたもんかな。さて、スポーツクラブでもいってくるか。

高橋由美子

新橋界隈で飲み歩いているんだってな。

 

独身アラフォーで酒が飲めれば、酒に走るのは一つの真理。

 

酒飲んでいる間だけは、孤独でなくなる。ましてや、飲み仲間がいればなおさらだ。

 

俺も、毎夜、吉田類と一緒に飲み歩いているよ。

 

リアルで、気軽に飲める仲間とかいればいいけど、中年になると難易度が上がってしまう。友人でも、俺の心が狭隘なのかもしれないが、結婚子持ちとは話合わないし、話合う奴でも、仕事と家庭で疲弊して飲みに出るのが億劫になってしまっていたりする。

 

かつては、ほとんど息を吐くように今度飲みに行こう。と言っていて、中には社交辞令もあったけど、実際に飲みに行くことも多かった。

 

旧知に頼らず、新しい出会いを求めるべきなんだろうが、これの出足が非常に重くなっている。今日も、一日家にこもりっきりだった。こうやってどんどん閉じていくのだろうか。なんとか、打開したい。

 

 

 

後悔

寂しい、孤独。

 

俺は自分のことばっか考えていた、後悔、後悔。

 

もっと、彼女のことを思いやって入ればよかった。

 

タイムリープしたい。

 

ふざけんな、なんなんだよこれ。

 

頼む、飛べよおおおおおおおおお。

ジーンとミーム

別れた女房に未練はないが、お乳ほしがるこの子が可愛い~、で始まる浪曲子守唄というのがあった。団塊ジュニア世代だと、祖父が聴いていて知ってる人も結構多いのではないか。

 

そうだな、女房に未練はなくとも、子供がいないのは寂しい、のではなく悔しいのが正直なところだ。

 

ジーンを残せないのなら、あとは、ミームにかけるしかないか。

 

人生なんて死ぬまでの暇つぶしなどと達観することなどできない。

 

余生だなんだって諦観キメてるような奴も、それは余生芸人みたいなもんで、そのミームを伝染させようとネットで価値観をバラまいているじゃないか。山奥独りで暮らす仙人なんてホンモノはいないんだよ。

 

生きている限りは、苦しみながらも人としての欲望を追求するしかないんだ。

 

どうせもうすぐ死んでしまう、っていう点は、諦観君と同じ価値観であり、いや、価値観というかこれは絶対的真実だな。生きている間に何を残せるかだ。ブログやツィッターは含まない。

孤独を飼いならす

実はかなりの上級テクニックである。

 

俺はいくつか手札を持っているが、それでも心許ない。

 

できれば、再婚を目指すとか、人とのつながりを持つ努力を欠かすことはできない。

 

おひとりさまがどんどん増えれば、そういうつながりの場も増えるのではないかと安易な淡い期待はあるが。

 

いずれにしても、一緒にいて楽しい面白い人間になる努力はし続けなければならないな、人間である限り。

 

人間にとって最も辛いのは孤立。